小林幸子の千本桜について〜或いはラスボスの本体

その1・アレンジ問題

 今回のアレンジには賛否両論あるようだが、あくまでも「小林幸子のための千本桜」であって、そういう意味ではよく出来ていると思う。だから、まぁ歌い手さんは多少しょうがない面もあるけど原曲と較べるのは野暮ってもんだ。(オケに関して個人的には原曲の方が好き)
 だから、アレンジに賛否両論あること自体はたいした問題じゃない。では、なぜ最初に触れたかというと、「小林幸子のための千本桜」という点が次の問題に大きく関わってくるからだ。

その2・歌詞問題
 危なっかしい言葉の羅列をノリノリで歌う大御所を見て誰もが考えるであろう疑問。
 「この歌詞、小林幸子はどんな意味か考えたのだろうか?」

 答えは多分何も考えてないw
 ラスボス幸子にとっては歌詞の意味なんて些細な問題なのである!

 なんでそうなるのかというと、答えは紅白歌合戦にある。
 33回連続出場した紅白歌合戦において小林幸子は、ダブルミリオンを達成した最大のヒット曲「おもいで酒」を2回しか歌っていない。それなりのヒット曲であり故郷新潟を歌った「雪椿」が3回。(ただしこれは新潟を襲った大地震からの復興の願いを込め歌った年を含む)他はその年に出した曲をすべて一回ずつだ。その全てがおもいで酒以下のセールスである。(デュエット曲として大ヒットしたもしかしてPART2は0回)
 これは演歌歌手としては非常に珍しい。この点について、年相応に演歌好きで特に根拠はないけど「この人の言っていることは大体あっている」と思わせるうちの母は、「こんな好きな人しか知らないような歌じゃなくて、もっと「おもいで酒」とか歌えばいいのに・・・」と言っている。
これは決して少数意見では無いだろう、特に確認はしてないけど。

 八代亜紀はCMで歌った「残酷な天使のテーゼ」に惚れ込んで、急にエヴァを見始めて「少年がウジウジしているだけで神話にならない!」とがっかりしたという。これは 「言葉一つ一つを大事に、お客さんの曲への思いを紡いでいく」演歌歌手という職業において正しい姿勢だと思う。
 しかし小林幸子は違う。紅白という演歌歌手にとって年に一度の晴れ舞台で、派手な衣装(セット)で見る人を圧倒させその年の新曲を歌うという事を選択した。
つまり「自分は新しい歌に挑戦し、たとえどんな形でもそれをお客さんが楽しんでくれればオッケー!」というスタンスなのだ。

 自分用にアレンジされた若い人たちが大好きな歌。普段は客前で歌うことの少ないアップテンポと言葉の羅列。中盤ではたっぷり間を取ってからのアカペラとロングトーン。周りを見れば賛辞が怒涛の勢いで壁を流れる。曲の締めに爆発音。
 これだけ周到に用意されていれば楽しくない筈がない。歌詞の意味とか演歌歌手の宿命とかは些細な事なのだ。(まぁよく見ると後半の歌詞は妙に“ラスボス幸子”とイメージ的に被る気もしないでもない)

 だから私は「このまま小林幸子の歌にして欲しい」という一部の意見には懐疑的にならざるを得ない。小林幸子は一般的に思われている演歌歌手と持ち歌の関係から逸脱した人なのだから。
 そしてそのことはそのまま次の問題につながっていく。

その3・ラスボス問題

 ラスボスキャラはとっくの昔に本人公認で、この日も「千本桜」を歌い切った後にラスボスらしい“フハハ笑い”をしようとして恥ずかしくなって途中でやめてしまうという微笑ましい一幕もあった。ラスボス問題はとっくに決着済みだという向きもあろう。
 しかし、紅白用衣装に進化した小林幸子がラスボスなのではなく、衣装抜きの小林幸子本人とその経歴がラスボスだとしたらどうだろう?

 母は小林幸子についてこうも言っていた。
 「歌はうまいし、“おもいで酒”は好きだけど小林幸子自体はなんか好きになれない。」と。
 この母の意見とお家騒動の時の解雇された側に同情的なメディアの報道姿勢に全乗っかりした上で、小林幸子の今をファンタジーRPG風に考えるとどうなるか?

 「長年“紅の騎士団”に選抜され二度にわたり団長も務めたサチコ。誰もが求める実力を持ち、熱狂的な“タニマチ”に支えられている彼女であったが、民衆の一部は彼女に言い知れない不安を感じていた。そんな彼女は何者かにそそのかされ苦楽を共にしてきた腹心を追放してしまう。その結果本人が何より大切にしてきた“紅の騎士団”を追放されてしまう事に。
 一年後、サチコは紅の騎士団が結集するその日にまったく異なる勢力と手を組み単独で挙兵した。」

 行動が完全にラスボスである。

 問題2でさんざん指摘した「演歌歌手でありながらみんなに愛されるヒット曲にさほどこだわらない姿勢」もラスボスらしいといえるのではないだろうか?
 紅の騎士団においてもその実力と粗暴な振る舞いで騎士団内においてさえ畏怖の念を抱かせずにはいられない巨人族の末裔アキコに対して上から目線で反論できる数少ない存在であるというのもフラグ。
 また、「おもいで酒」は発表年の「ザベストテン」年間一位、有線放送大賞グランプリながらレコード大賞を逃している。これも当然フラグ。


そう、このカウントダウンライブは生身の小林幸子がラスボスへと進化を遂げるための儀式だったのである。(これまでの豪華な衣装やセットが実在のものであったのに対し、この日のテラ幸子と幸子城がCGであったのもそういう意味で趣深い)
あの“フハハ笑い”は正に“ラスボス サチコ”が誕生した瞬間なのだ。

最後の大問題は、これだけ御託を並べておきながら私自身が千本桜にも小林幸子にも大して思い入れはないという事である。(母の言葉と八代亜紀のエピソード以外基本全部ウィキペディアに書いてありますw)
ホントこの性分どうにかならんもんだろうか・・・