華氏911
正直に言えば、「ボウリング・フォー・コロンバイン」に比べるとどうしても“今一つ”に思えてしまう。
やはりエンターティナーである「マイケル・ムーア」自身の出番が少なく、ビンラディン家とブッシュ家の関係を陰謀説風に描き過ぎているせいで全体的に中途半端になってしまっているような感じがする。
マイケル・ムーア自身が答えを探しながら動き回る「ボウリング・フォー・コロンバイン」と違い、「ブッシュじゃ、あかん!」と言う事実を伝えるだけの映画なのだからそれも仕方のない事なのかもしれない。
でも、決して存在を否定されるような映画ではないと思う。
ブッシュ大統領の絶妙なコメディアン振り(天然系)は最高!で、
ライラおばさんの視線や、イラクにいる若い兵隊達の言葉には惹きつけられた。
「ボウリング・フォー・コロンバイン」に比べると“今一つ”なのであって、見るべきところはいっぱいある。
ムーアを敵視している人は前半から事実誤認を探し、
自分を賛美する為に流行りものを否定する人達は「こんなの知ってたよ」とぶーたれる。
そんなの分ってたでしょ?
あなたの知っていた“それ”を知らない人にも届ける映画だって事くらいわかるでしょ?
中には自分がマスメディアで情報を発信する側にいるにも関わらず、
「目新しいスクープなどどこにもなく、全部知られていることばかり」
等と言い出す始末。
伝わってないんです、あなたの言葉は。
それをムーアは伝え様としてるんです。
むしろ感謝したほうが良いんじゃない?
本当は出来るだけ冷静に、客観的に、
「この映画は否定しようとしている人が言うほど酷いものじゃないが、「ボウリング・フォー・コロンバイン」の方が面白い」
と書きたかった。
でもその書き方じゃ、自分で読み返せる文章にならないし、書いていても楽しくない。
「でも、昔は作者が観客に自分の主張をぶつける映画がいっぱいあった。『狼たちの午後』や『セルピコ』や『プラトーン』や。どれも娯楽映画として大ヒットしたのに、ああいう映画はもう作られなくなった。」(マイケル・ムーアインタビューより 聞き手町山智浩 http://www.eiga.com/special/bowlingfor/03.shtml)
その事をマイケル・ムーアは理解している。
冷静な振りをしているだけの群れに混じるなら、ムーアシンパのアブナイ奴と思われたほうがましかもしれない